2006年11月16日

宇宙の話し

「ビッグバン宇宙論」(サイモン・シン著)を読みました。
サイモン・シンといえば、英BBCのプロデューサーで、
しゅんすけが数学の本に興味を感じるきっかけになった「フェルマーの最終定理」を著した人で、
いやこの本はホント数学、殊に数論史を概観するうえでとても勉強になったわけで、
そんな人が書いた2作目の「暗号解読」もしゅんすけには非常に興味深かったんだけど、
こっちも方はその難解さに触手が伸びず、割と直球的な題材であるビッグバンについて
記載した今回の本をまずは手にしたという次第なわけです。

この人、たしかしゅんすけとそれほど年齢的な差がない人で、
しゅんすけのように日々のべーんと生活してる人もいれば、
宇宙論について一冊の本を書いちゃう人もいると思うと
いや、世の中にはホントスゴい人っているもんだねと思いつつ、
某グールド先生と違って、これからも長い執筆活動を続けるだろうから、
次回作に期待してたらいつの間にかお亡くなりになってたということがなさそうで、
その辺は安心して本屋に行くのが楽しみなのだけど、
(某グールド先生はいつの間にか死んじゃってたからな)
それにしても、今回の題材・ビッグバンとは、かなり直球勝負な題材だと思う反面、
きっとしゅんすけが知らないようないろんな知見がドラマチックに記載されているだろうと思いつつ、
読み進めるのが楽しかった。

さて、ビッグバン理論って銘打つくらいだから、
理論についての記述が中心になるんだろうな、きっとサイモン・シンだから
分かりやすく書いてくれるんだろうなと期待してたんだけど、
結果的には、ビッグバン理論に至るまでの宇宙論の変遷を紹介している形で、
今話題の熱い議論の方には、ほとんど触れていなかったのが、残念だった。
あとがきを読んでみると、あっさりと「宇宙論史として云々」との文字もあり、
なんだ、最初から宇宙論史を書くつもりだったのねと思うに至り、
そこには、宇宙論の変遷を見る中で、どのようにニンゲンが哲学的宇宙観と決別し、
純粋に科学的思考と手法によって、真実に迫ってきたかが描かれているわけで
今話題の熱い議論などの確証性のない、ぶっちゃけSFチックな議論に
言及するのは、そりゃ自己矛盾ってもんか。

それにしても、科学におけるその時代ごとの「定説」が
新しい理論と観測と実験によって覆される歴史が丁寧に描かれていて、
あまりの丁寧さに、上巻の終わり頃でも、まだ「エーテルが云々」なぞ言ってたくらいで
ビッグバンという言葉が初めて出てきた時には、逆にほっとしたよ。
良かった、著者は今書いている本の題名を忘れてなかったわ〜。

しゅんすけは、この前楽団の仲間と飲んだ時に、
同席していた方が期せずして相対性理論とか宇宙の大規模構造なんかを大学で
勉強してたそうで、それに触発されて、昔に読んだ宇宙に関するいろいろな謎に
思いをめぐらせてしまったため、いわゆる最先端の議論なんかも
読んでみたかったけど、この本ではほとんど触れられていなかったのが残念でした。
それでも、良かったのは、分かっちゃいるけど体系的に理解できていない宇宙論史を
一本の線で繋いでくれたトコロ。
ハッブルが銀河が地球から後退しているように見えた観測から様々な人が観測と合致する宇宙論を考え、
たまたま大陸間通信の雑音を聞いた研究者が宇宙背景放射の発見に至る道を開き、
のっぺりと一様と思われた背景放射のごく微小なゆらぎ、衛星COBEの観測に続く流れが
一応しゅんすけも宇宙論の変遷は理解してたけど、改めて読んでみると、なかなか感動なものである。

20世紀に入り、急速に進化した宇宙論だけど、
その功績は、量子物理学の発展に負うトコロが大きくて、
宇宙という超マクロな話しの中で、原子とか陽子とか中性子とか電子とかの超ミクロな話しが
出てくるのは、いつのながら面白いと思うんだけど、ただ、量子物理学の発展は、
宇宙論に良い結果だけをもたらしたわけじゃなくて、
核兵器という人類最大の負の発明品を生んでしまった面もあるわけで、
その辺が全然語られなかったのは残念だった。
近代宇宙論史では、相対性理論や量子物理学に触れないわけには行かず、
そうであれば1940年初頭の物理学者がアメリカ政府に極秘で召集され、
砂漠の真ん中で何を作ってたのか、欧州ではドイツ軍の斜陽が伝えられる中、
ドイツ軍の起死回生の兵器として、核兵器の研究がまことしやかに噂されてたとか、
(如何せん、量子物理学の権威たちは、ユダヤ人迫害を逃れて、
みーんなアメリカに亡命しちゃってたから、いくら核兵器について研究しても、
アメリカには追いつけなかったわけだが)
最初の核兵器が日本に落とされたことで、ニンゲンの好奇心だけを原動力に発展してきた純粋科学は、
ついに終焉してしまったなどなどが、ほとんど触れられなかったのは、故意か?と思うほどでした。
※「フェルマーの最終定理」では、定理の証明に足がかりになる重要な命題の証明に
二人の日本人数学者が関わっていて、その辺の描写は日本を極東の小国と
見ている感じは決してなかったので、ま、変な差別意識はないんだろうけど、
ヒロシマのヒの字も触れないのは、なんか政治的な感じがして嫌だったな。

※宇宙論の発展の中で、理論の変遷とは直接関係ないけど、
やっぱりニンゲンが宇宙空間に一歩を踏み出したってことは
物凄い事件だと思うわけで、だって、今まで望遠鏡でしか観察できなかった宇宙が
実際そこへ行ってみることができるようになったんだから、そりゃ大事件でしょーって思うけど、
実はこの辺のクダリも、この本には一切記述がない。
誰が宇宙に行こうが、誰が月の大地を踏みしめようが、
宇宙論の進展には大きく寄与しなかったってことだね。
書かれない事実が、その意味を如実に語るってか?
著者はホント、テーマに忠実に本を書いたんだね。

全体的にはとても読みやすく、会社の昼休みに読書するなんて
習慣は全くなかったんだけど、昼のチャイムが鳴ると、
この本を持っていそいそコーヒー屋へシケコむ辺り、
相当面白い本だったとみえる。
しゅんすけは、自分の本には書き込みをしないのだけど、
(フェルマーのような悪趣味はない)
それでも何か琴線を弾いた記述には、ページに折り目をつけていて、
今年はケプラー予想とかリーマン予想とかの本を読んだ割には
あまり折り目がついてなくて、それはつまり、しゅんすけがそれらの本の内容を
充分理解していないからなわけで、その意味では、今回の本に折り目がついたのは
自分でもちょっとウレシかったりするのでした。

宇宙論を全然知らない人も、ある程度知ってる人も
大学で主に研究してた人も、読んで損のない本である。
posted by しゅんすけ at 21:23| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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