2006年12月28日

「数学はいつも苦手だった」アルブレヒト・ボイテルスパッヒャー著

久々に有隣堂でいろいろ迷った挙句に購入した本。
数学にマツワるエッセーに近い本。
数学の特定の分野について知見を得られるわけでもないんだけど、
数学という学問をシロウトの目線から概観した本と言うべきか、
いろんなネタが関連性なく散りばめられた感があって、
自分は一体何についての本を読んでいるんだか見失いかねない部分もあるけど、
それぞれのネタはそれなりに面白いので、なんか分かったような気に
させる何かがそこにある。

数学って、しゅんすけを含め、やっぱ取っ付きにくい分野なんだよね。
それをより分かりやすく興味深いネタから始めて、
読者の興味を引きつつ、次第にネタの難解さを深めていく手法、
または数学(者)を知ってる人でないとユーモアが分からない内輪ネタへ
移行していく手法は、あまり感心しないけど、
自分なりに理解できるレベルってココくらいかなーってのが分かって、
期せずして自分の読解力を知るきっかけになっちゃった。
面白いネタを探して数学のいろんな分野に話題が飛んでいったり、
何の説明もなしに公式だけポンと提示されちゃうのは、
内輪ウケなんじゃないの?と言われてもしょうがないだろうし、
こういう態度が筆者が懸念している数学者と非数学者の溝を深める原因に
なるんじゃないのーと思うわけよ。

・・・と、本の内容を褒めてんだか貶してんだかイマイチ評価が
曖昧なんだけど、ここまで貶しておいて、この薄さの本の割に
いわゆるドッグイヤー(本の端を折る)が多いってことは、
それなりに面白かったんだろうなと思う反面、
小ネタに反応しただけとも言えなくもなく、
どちらにしても、数学者による非数学者向けを装った内輪ウケの本って
思ってしまうのは、しゅんすけが何より数学が苦手だからだと思う。
※ドッグイヤーは、しゅんすけが「コレは?!」と思うフレーズが
書かれたページの端を半ば衝動的に折る行為で、その時はそれなりに感銘を
受けたり、本の主張が簡潔に述べられていたり、しゅんすけの琴線に触れた部分
だったりするんだけど、如何せん、後になって、どの部分が琴線に触れたり、
感銘を受けたのかが分からなくなるというトホホな行為でもある。

その中で、なかなか面白いと思ったのが、3n+1問題。
どんな自然数でもいいんだけど、その数aが奇数なら、3a+1とし、
偶数なら2で割る(a/2)とする。そこで新たに算出されたbも
奇数なら3b+1、偶数ならb/2とする。
つまり、5なら、これは奇数だから、3×5+1=16とし、
16は偶数だから2で割って8、8も偶数だから2で割って4、4も偶数だから
2で割って2、2も偶数だから2で割って1、1は奇数なので3×1+1で4、
4は偶数なので・・・と、ここから先は、4→2→1のループになる。
実はこのループは、どの自然数を選択しても、結果的には4→2→1になるんだそうな。
試しに7でやってみる。
7(奇)→3×7+1=22(偶)→22/1=11(奇)→3×11+1=34(偶)
→34/2=17(奇)→3×17+1=52(偶)→52/2=26(偶)
→26/2=13(奇)→3×13+1=40(偶)→40/2=20(偶)
→20/2=10(偶)→10/2=5(奇)→3×5+1=16(偶)
16/2=8(偶)→8/2=4(偶)→4/2=2(偶)→2/2=1(奇)
→3×1+1=4(偶)・・・これでループ。
本のページ半分を使って図示していたけど、
これをいろんな数で試してみると、どこかの計算過程は別の計算過程に繋がってたり、
ある数で分岐してたりして、なんとなく進化の系統樹のような形になる。
まさに何か意味ありげな大きな木ができそうな感じなのです。
ちなみに、奇数の場合に3n+1とするルール以外で、
(例えば奇数だったら4n+1とか)このようなループは起こらないんだそうな。
う〜ん、これは面白い。
最初読んだ時には、「っへーぇ!」って感動しちゃって、思わずメモを取り出して
計算始めちゃったもんな。しかも、その後九州に出張するので、
羽田から福岡まで飛行機に乗ったんだけど、搭乗ロビーで待ってる間も
飛行機に乗ってる間も、計算ばかりして、おかげで退屈しなかったけど、
折からの不安定な気圧のために飛行機の揺れが激しくて、飛行機酔いしちゃったもんな。
その他にも、小ネタはいくつかあったけど、それは読んでみてくださいな。
※ちなみに、しゅんすけは数学的には全くのシロウトですが、
いつかこの問題が解かれる日が来た時に、「そうそう、しゅんすけもそこが
問題解決の糸口だと思ってたよ」と言えるために書いておくけど、
上記の例(7)の計算途中に登場した13が、解決の糸口であると思う、何となく。

さてさて、今年最後の読書が、結局意図がよく分からん本になってしまい、
しかも、その読書感想文までもさっぱり分からないという、あまりいいオチではないけど
来年はもうちょっと歴史小説とかファンタジーの世界に浸かってみたいと思う宵なのでした。

posted by しゅんすけ at 00:10| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月16日

宇宙の話し

「ビッグバン宇宙論」(サイモン・シン著)を読みました。
サイモン・シンといえば、英BBCのプロデューサーで、
しゅんすけが数学の本に興味を感じるきっかけになった「フェルマーの最終定理」を著した人で、
いやこの本はホント数学、殊に数論史を概観するうえでとても勉強になったわけで、
そんな人が書いた2作目の「暗号解読」もしゅんすけには非常に興味深かったんだけど、
こっちも方はその難解さに触手が伸びず、割と直球的な題材であるビッグバンについて
記載した今回の本をまずは手にしたという次第なわけです。

この人、たしかしゅんすけとそれほど年齢的な差がない人で、
しゅんすけのように日々のべーんと生活してる人もいれば、
宇宙論について一冊の本を書いちゃう人もいると思うと
いや、世の中にはホントスゴい人っているもんだねと思いつつ、
某グールド先生と違って、これからも長い執筆活動を続けるだろうから、
次回作に期待してたらいつの間にかお亡くなりになってたということがなさそうで、
その辺は安心して本屋に行くのが楽しみなのだけど、
(某グールド先生はいつの間にか死んじゃってたからな)
それにしても、今回の題材・ビッグバンとは、かなり直球勝負な題材だと思う反面、
きっとしゅんすけが知らないようないろんな知見がドラマチックに記載されているだろうと思いつつ、
読み進めるのが楽しかった。

さて、ビッグバン理論って銘打つくらいだから、
理論についての記述が中心になるんだろうな、きっとサイモン・シンだから
分かりやすく書いてくれるんだろうなと期待してたんだけど、
結果的には、ビッグバン理論に至るまでの宇宙論の変遷を紹介している形で、
今話題の熱い議論の方には、ほとんど触れていなかったのが、残念だった。
あとがきを読んでみると、あっさりと「宇宙論史として云々」との文字もあり、
なんだ、最初から宇宙論史を書くつもりだったのねと思うに至り、
そこには、宇宙論の変遷を見る中で、どのようにニンゲンが哲学的宇宙観と決別し、
純粋に科学的思考と手法によって、真実に迫ってきたかが描かれているわけで
今話題の熱い議論などの確証性のない、ぶっちゃけSFチックな議論に
言及するのは、そりゃ自己矛盾ってもんか。

それにしても、科学におけるその時代ごとの「定説」が
新しい理論と観測と実験によって覆される歴史が丁寧に描かれていて、
あまりの丁寧さに、上巻の終わり頃でも、まだ「エーテルが云々」なぞ言ってたくらいで
ビッグバンという言葉が初めて出てきた時には、逆にほっとしたよ。
良かった、著者は今書いている本の題名を忘れてなかったわ〜。

しゅんすけは、この前楽団の仲間と飲んだ時に、
同席していた方が期せずして相対性理論とか宇宙の大規模構造なんかを大学で
勉強してたそうで、それに触発されて、昔に読んだ宇宙に関するいろいろな謎に
思いをめぐらせてしまったため、いわゆる最先端の議論なんかも
読んでみたかったけど、この本ではほとんど触れられていなかったのが残念でした。
それでも、良かったのは、分かっちゃいるけど体系的に理解できていない宇宙論史を
一本の線で繋いでくれたトコロ。
ハッブルが銀河が地球から後退しているように見えた観測から様々な人が観測と合致する宇宙論を考え、
たまたま大陸間通信の雑音を聞いた研究者が宇宙背景放射の発見に至る道を開き、
のっぺりと一様と思われた背景放射のごく微小なゆらぎ、衛星COBEの観測に続く流れが
一応しゅんすけも宇宙論の変遷は理解してたけど、改めて読んでみると、なかなか感動なものである。

20世紀に入り、急速に進化した宇宙論だけど、
その功績は、量子物理学の発展に負うトコロが大きくて、
宇宙という超マクロな話しの中で、原子とか陽子とか中性子とか電子とかの超ミクロな話しが
出てくるのは、いつのながら面白いと思うんだけど、ただ、量子物理学の発展は、
宇宙論に良い結果だけをもたらしたわけじゃなくて、
核兵器という人類最大の負の発明品を生んでしまった面もあるわけで、
その辺が全然語られなかったのは残念だった。
近代宇宙論史では、相対性理論や量子物理学に触れないわけには行かず、
そうであれば1940年初頭の物理学者がアメリカ政府に極秘で召集され、
砂漠の真ん中で何を作ってたのか、欧州ではドイツ軍の斜陽が伝えられる中、
ドイツ軍の起死回生の兵器として、核兵器の研究がまことしやかに噂されてたとか、
(如何せん、量子物理学の権威たちは、ユダヤ人迫害を逃れて、
みーんなアメリカに亡命しちゃってたから、いくら核兵器について研究しても、
アメリカには追いつけなかったわけだが)
最初の核兵器が日本に落とされたことで、ニンゲンの好奇心だけを原動力に発展してきた純粋科学は、
ついに終焉してしまったなどなどが、ほとんど触れられなかったのは、故意か?と思うほどでした。
※「フェルマーの最終定理」では、定理の証明に足がかりになる重要な命題の証明に
二人の日本人数学者が関わっていて、その辺の描写は日本を極東の小国と
見ている感じは決してなかったので、ま、変な差別意識はないんだろうけど、
ヒロシマのヒの字も触れないのは、なんか政治的な感じがして嫌だったな。

※宇宙論の発展の中で、理論の変遷とは直接関係ないけど、
やっぱりニンゲンが宇宙空間に一歩を踏み出したってことは
物凄い事件だと思うわけで、だって、今まで望遠鏡でしか観察できなかった宇宙が
実際そこへ行ってみることができるようになったんだから、そりゃ大事件でしょーって思うけど、
実はこの辺のクダリも、この本には一切記述がない。
誰が宇宙に行こうが、誰が月の大地を踏みしめようが、
宇宙論の進展には大きく寄与しなかったってことだね。
書かれない事実が、その意味を如実に語るってか?
著者はホント、テーマに忠実に本を書いたんだね。

全体的にはとても読みやすく、会社の昼休みに読書するなんて
習慣は全くなかったんだけど、昼のチャイムが鳴ると、
この本を持っていそいそコーヒー屋へシケコむ辺り、
相当面白い本だったとみえる。
しゅんすけは、自分の本には書き込みをしないのだけど、
(フェルマーのような悪趣味はない)
それでも何か琴線を弾いた記述には、ページに折り目をつけていて、
今年はケプラー予想とかリーマン予想とかの本を読んだ割には
あまり折り目がついてなくて、それはつまり、しゅんすけがそれらの本の内容を
充分理解していないからなわけで、その意味では、今回の本に折り目がついたのは
自分でもちょっとウレシかったりするのでした。

宇宙論を全然知らない人も、ある程度知ってる人も
大学で主に研究してた人も、読んで損のない本である。
posted by しゅんすけ at 21:23| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

しゅんすけも欲しい神様からのひと言

「神様からひと言」を読了しました。
こういう面白い小説は、読むのが早い。
なんだかんだ言って、こういうエンタテイメント志向の小説は
嫌いじゃないし、たぶんしゅんすけの趣味に合ってるんだと思う。

小説の舞台が、某中堅食品会社のお客様相談室ってことで、
なんだか変なクレーマーへの対応とか、
会社の嫌な勢力争いとかが描かれているようで、
本屋で手にしたものの、「現実にサラリーマンやってる自分が
一服の清涼剤として読む本がサラリーマンでは
全然ココロ休まらないな」と、しばし躊躇したんだけど、
店員が書いた「面白い!」の言葉を信じて購入することにした。
※こういう本屋の出会いで成功するのは嬉しいけど、
できればもっと為になる本にも出会ってみたいものだ。

★以降は、ネタバレの恐れがあるので、読んでない人は
読まない方がいいかもです。

会社内のクレーム処理の専門部隊については、
きっといろいろなニンゲン模様が垣間見れて、
ネタとしては結構面白くて、しゅんすけも某カメラメーカーの
お客様相談室におけるクレーム処理についてエッセイ風に書いた本を
読んだことがあってこれもかなり面白い話しなんだけど、
なぜかテレビなんかで映像化されない。
ドラマとかやったら面白いのにな。
しゅんすけが以前の会社に勤めてた時、印刷会社の営業を描いたドラマが
放送され、親会社の工場とかが撮影に使われたそうだけど、
あの時にゃドラマのネタにホント困ったんだなと思ったものだ。
印刷屋の営業なんてドラマ性のカケラもないもんな。
クレーム処理の現場なんて、まさにドラマチックな日常が展開していそうで
映像化に向いていると思うのだけど、たぶん映像化されないのは、
視聴者の一部がこういったクレーマーに他ならないからだろうな。
クレーマーに対する側のドラマを作ったら、クレーマーの矛先が
制作側の方へ向けられるのは、想像に難くないわけで。
・・・などと、しゅんすけが思うくらい、
クレーム処理を舞台にした今回の話しは、面白いわけである。

仕事が終わった後に、会社を舞台にした小説を読むというのは
カラシを食べた後にワサビを食べるようで敬遠していたけど、
ストーリー展開にずいずい引き込まれ、一気に読了してしまった。

登場人物のキャラクターやストーリー展開にあっと驚くものはなかったけど、
(ほのかな意外性や気になる展開ってのはスパイス程度として)
たぶんこういうのが日本のエンタテイメントってヤツなのかなとも思った。
(ドリフターズが毎回登場する度に「オッス!」というように)
それと同時に、こういうキャラクターは、きっとマンガやドラマなんかで、
既に出会っているものばかりなので、その分安心感はあるけど、
話しの締め方が難しいという面もあるんじゃないかなとも思った。
起承転結の「結」が難しいという意味では、サザエさんに大きな「転」と
大団円な「結」が想像できないのと同じように、
この本でもそれぞれ魅力的な登場人物たちは、大きな変化を経験せず、
まさに「いつまでも、いつまでも仲良く暮らしましたとさ」が似合うんだけど、
どうもそういうわけにもいかないようで、大きなクライマックスを超えて、
大きな変化を経て、それぞれが別々の人生を歩き出すところで話しは終わるのが、
どうも無理しているようで、違和感があったな。
いいじゃん、いつまでもお客様相談室で、癖のあるクレーマーを相手に
ドタバタやったって。それでも、周囲の目が少しでも変わってくれれば。
そういうささやかな変化が、こういうキャラクターの織り成すストーリーには
似合うと思うわけよ。
よくある設定やよくある登場人物には、よくある結末が似合う。

そういうわけで、このストーリーの終盤の展開には、
ちょっと違和感があったんだけど、総じて面白い話しでした。
「結」の部分では、いろいろと変化はあったけど、
ちょっとだけ続きがありそうな書き方だったのも良かったかな。
もしかして、この話しが何かの伏線になっているかもしれないと思うと
ちょっと楽しくなるね。
※ある小説が同じ作家の別の小説の伏線になってたり、
アナザーストーリーになってたりって手法は、最近流行りなのかな。
最近読んだ別の小説でも同じようなことがあって、
この小説では友人関係にある二人がそれぞれ別の小説で、
別の話しを展開するんだけど、登場する小物や背景が同じなのがユニークで
どこかで酒でも交わしながら、ちょろっと漏らせば
「その話し、あたしが経験したことと関係あるかも!?」などと
盛り上がること間違いなしで、そういうことを読者に想像させるのは
なかなかニクい演出である。

この本のメッセージめいた部分は、転職しようとしているしゅんすけに
何かしらの波紋を生じさせたように思う。
もっと若い時にこういう本を読んでいれば、その波紋もちょっとは
変わったかもしれないな。
メッセージめいた部分もありつつ、ユニークな話しの展開も楽しめたのは
この本がうまくまとまっているからだろうね。
かなり書き慣れた感じを受けました。

世の中の逆風に負けず、映像化希望な本である。
※ドラマじゃないな、映画。マンガって手もあるか。アニメは不可か。
これは、オススメ本ですよ。

posted by しゅんすけ at 20:15| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月15日

ブレイブ・ストーリー

ブレイブストーリーを読みました。
難解な数学の本のせいで、耳から煙が出そうなしゅんすけにとっては
いい息抜きになったかな。こういうファンタジーなお話しは
某ハリー・ポッター以来だったけど、なかなか楽しめた。
映画化されるそうで、その辺の意識もありつつ読んだけど、
映画も楽しみになってきました。って、たぶん観に行かなくて
DVDになったらレンタルして、さきこには内緒でこっそり
観るんだろうけど。
(未だにしゅんすけがアニメなぞ観ていると、「あ〜ぁ〜」みたいな
呆れ顔のさきこなんだけど、この前宮崎アニメの「風の谷のナウシカ」を
全編一緒に観たら、たいそうお気に召され、DVD買って良し、
単行本買って良しの「みことのり」を賜った)

さて、ストーリー的には、その単純明快さが良かった。
明確な目的に向かって、主人公が悩みながら、戦いながら
到達していく過程で精神的に成長していき、その目的の
本当の意味を知る・・・う〜ん、なんかよくある話しだ。
でも、なんだろうね、この新鮮さ。
某ハリー・ポッターのように、複雑なプロットから
謎解きが進行することがなくて、どこまでも演繹的に楽しめる。
こういう単純明快さは、アニメ化しても、作品のレベルが損なわれなくて
いいよね。某ハリー・ポッターなんか・・・(以下略)
面白いのは、ファンタジーの世界観を最初から創り出すことはせず、
もう開き直っちゃって、ドラクエとか定番のファンタジーゲームから
世界観を借りてきちゃってること。
主人公は、作品中のいわゆる「現世」で、
ファンタジーゲームの発売を今や遅しと待ち望む小学生なんだけど、
そのゲームと全く同じ世界観ではないにしても、主人公が訪れる「幻界」は
よくあるゲームの世界に近いようで読者に「ああ、あんな感じか」と
思わせるのに、成功している。要はよくあるゲームの世界のような世界。
あえて世界観を構築して、言葉多く説明するよりも
遥かにいい方法だと思った。

春に映画を観た「ナルニア国物語」もそうだけど、
「あっちの世界」と「こっちの世界」を行き来するファンタジーって、
どちらの世界も充分描き切らないと、不完全燃焼なんだよね。
「ナルニア〜」では、ナルニア国(あっちの世界)は、現実世界に全然影響してなくて
独立した世界が並立する格好だけど、ブレイブストーリーでは、
「幻界」は「現世」と密接に関連し合ってるわけで、
あっちに行く前と戻ってきた後のこっちの世界の変わり方は、
充分説明してくれた方が良かったかな。
あっちに行く前の部分はかなりのページ数だったけど、戻ってきた後の部分は
全体からすればかなり少なかった。
あっちの世界で頑張ったことがこっちの世界でオザナリに表現されてたら、
主人公のあっちの世界での苦労はなんだったの?ってな感じになるわけで。
ま、いいか、それなりに面白かったから。

爽快で切なくて哀しくてカッコいいお話しです。
あ、そうだ、ハリー・ポッター読まにゃ。
posted by しゅんすけ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

読書感想文以前。

1月中旬に某書籍通販サイトのア○ゾンで、さきこがCDを発注するついでに、
しゅんすけも以前から読みたいと思ってた本を注文することにした。
CDも本も取寄扱いだったけど、ま、それほど時間はかからんだろうと思ってたら、
CDの取寄せに思いのほか時間がかかるようで
2月もそろそろ終わりになろうかという今日になっても、届く気配がない。

どうも原因はCDの方で、洋楽ということもあって、
海外から取寄せしてるみたい。
それでも、海外から取寄せるって、どうやったら1ヶ月かかるねん。
まさか船で運んでるわけでもあるまいし。

前回読了した「博士の愛した数式」以降、
できれば数学関連の本が読みたいとは思ってて、
今回ア○ゾンに注文したのも、数学に近いお話しなんだけど、
こういった事情でまだ手元にないので、
3年前に読んだ「フェルマーの最終定理」を再読している。

いや、何度も言うけど、秀逸な本だわ。
しゅんすけのような算数バカでも、分かりやすく書いてあるもんね。
しかも、それでいて数学史の重要なポイントは押さえてあって、
この本以降いくつか数学関連の本を読んだりしたけど、
数論に関してはだいたいこの本のどこかに書いてあったことだったりしたしね。
(ま、それだけフェルマーの最終定理が数論全体に大きな影響を持っていたということ
なわけだけどね)
そんなわけで、再読を始めて、以前気づかなかった新しい発見を楽しんでた。

そんなある日、別に本を買うわけでもなく通り過ぎた本屋で、ふと本を見かけた。
別に探してたわけじゃないんだけど、
素数に関する本が一般の新書版なんかと一緒のコーナーに置いてあった。
「素数の音楽」
う〜ん、大抵はこういう本って、数学書コーナーに、題名だけでも頭痛がしそうな本と
一緒に置いてあるものだけど、何ゆえこんな場所に?
ふと手にして目次を見ると、今まで読んできた数学本で出てきたエピソードが
いくつも見られ、しかもテーマは「リーマン予想」。
ヒルベルトが20世紀に解決すべき問題として演説した23の問題のひとつで、
どうも20世紀中に証明が得られなかったのは、リーマン予想だけなんだそうで
しゅんすけもついにリーマン予想に手を出す日が来たかと思って感慨深かったね。

※既述だけど、1900年当時なお未解決の数学的命題は、
知識やツールが未熟だから解決できないだけで、今後数学の着実な進歩により、
将来的には解決されるであろうというヒルベルトの大々的な演説も
10年後には数学の「不完全性定理」の発見により、
「解決できない問題が存在する」ってことになっちゃって、
ヒルベルトの言う知識やツールの未熟以外に、「そもそもこの問題は証明し得ない」という
結論もありになっちゃったのが、数学界では大事件だったわけで、
大風呂敷で豪語しちゃったヒルベルトさんの悲哀を思う。

以前からリーマン予想は分かりにくいと思って、尻込みしてたけど、
分かりやすく書いてくれてるなら、ちょっと読んでみようと手に取ったのでした。
なんせ船旅への不安から、神が自分を死なせるわけにはいかないような状況を
作り出そうと、「リーマンヨソウ、トケタ」の嘘の電報を打った数学者も
いるくらいで、しゅんすけ的にも興味はあったんだよね。
本屋ってのは、こういう出会いがあるからいいよね。
ア○ゾンじゃこうはいかないだろうね。

そんなわけで最近は遅読ながら、この本を読んでます。
出会っちゃった本がみんな当たりかというとそういうわけでもないんだけど、
今回の本はちょっと当たりっぽいかな。
楽しみだけど、数学界の最後の秘宝リーマン予想は、はてさて読み切れるものかどうか。

そんな中、ア○ゾンからしれっと本が届いちゃったりしてね。
posted by しゅんすけ at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月21日

読書感想文。

「博士の愛した数式」を読みました。
決定しました。今年最高の本です。まだ1月ですが、もう決定しちゃいます。
そのくらい素晴らしい本でした。
ストーリーとかよりも、何より数学を文学で表現し、
その素晴らしさを100%表現できていることに感動した。

物語がとにかく優しさ、温かさに包まれているんだよね。
数学という一見感情の入り込めない世界と人と人を繋ぐ友愛の温かさの融合に、
とにかく胸の温まる思いがするし、
博士の置かれた哀しい状況に、切ないような哀しいような感情にはならず、
逆に前向きな温かさを感じてしまうのは、作家の能力の賜物ってヤツだろうか。
読後になんか気分いいんだよね。
爽快、というのとは違うけど、なんかスッキリするというか。
推理小説でストーリーのロジックがスッキリ通った時のスッキリとは違って、
優しい温かさ、慈愛のフィルターを通したスッキリ感というのかね。
しゅんすけにはあまり芽生えなかった感情だけど、
とにかく気持ちいい話しでした。

それにしても、数学の世界と慈しみの世界を両立させるこの作家の
度量ってのはスゴイっすよ。
しゅんすけもここ何年か、日記書いたりしてて、
「お、この表現はなかなかいいぞ」とか思ったりしたこともあったけどね、
職業作家の能力にはもう全然敵いませんがな。
数学者が追い求めているモノを、文学的ビジュアル感で表現できているのが
すごい。どこかで読んだことのある言い回しだったりするんだけど、
(有名な数学者の言葉の引用とかね)
それを独自の言葉で繋いで、より分かりやすく、
まるで目の前に情景が広がっていくかのように書けるんだから、スゴイ。
数学はニンゲンがこの世に生まれる前から、いやもっと言えば
宇宙が誕生した時から、この宇宙に存在しているもので、
まさに神様がこの世を作ったレシピなわけよね。
数学者は、神様のレシピ帳に書かれていることを、
ちょっと書き写させてもらうような存在。
いや、神様のレシピ帳に書かれたこれ以上ないエレガントな表現ではなく、
料理を見てレシピを想像するようなものなのかもしれないけどね。
真理というレシピを追い求めつつ、真理の前では謙虚さを失わない数学者の
姿がそこに表現されているわけなのでした。

この小説のスゴイところは、数学の世界と文学の世界を繋ぐかのように
見えて、実は完全には接続・融合させていないトコロ。
この小説では、文学と数学は完全には融合してない。
だから、この小説を読んでも、数学のことで知識が深まったりしない。
フェルマーの最終定理について書かれてはいるけど、
その命題が秘める力と解決に辿り着くまでのドラマには言及がない。
でも、こんな素晴らしい数学の世界が、
ほとんど知られないまま本屋の棚にひっそり収まっているんだよって
教えてくれる。読者の何人かは、本屋の数学書コーナーに行き、
数学の本に触れ、新しい世界の広がりを知ることになるかもしれない。
つまり、全部を公開しないで、読者に調べさせることも想定しているのだ。
もちろん、数学的素養がなくても、全然感動できるんだけど、
博士と義姉との間に交わされるオイラーの定理の秘密が知りたくて、
本屋に行って調べちゃったもんね。
(ウィキペディアの方が的を得た回答が載ってましたが)
そういう読者操作をするのが憎らしくも、
真に伝えたいことってそういうことなんだ、と思わせる。
数学の真理探究って、広大な数の砂漠でオアシスを求めて彷徨うようなもので、
時にオアシスと思って近づくと蜃気楼だったり、すでに枯れていたりするんだよね。
そんな中で、こんこんと水を湛える泉があることを信じて、
ほとんど手探りで前に進んでいくわけだ。
小説の中で数学的問題に完全に解答を示さないことが
まさに小説で伝えたいことのひとつである数学の探求を実感させることへ
繋がっているなんて、ホント憎らしくもスゴイ演出力だ。

ちなみに、作者が参考にした数学文献のうちのひとつは
しゅんすけが絶賛してやまない「フェルマーの最終定理」でした。
参考にしたエルデシュの本も読了済だけど、博士の人柄とはちょっと違ったかな。
 

んで、ここまで読んでくれた方だけに告白。
しゅんすけ、この小説読んで泣きました。
すみません、ワンワン泣きました。犬じゃありません。
ちょっと泣きたい気分だったのは確かですが、感情を大きく突き動かされたというより
ニンゲンの温かさが最後まで貫かれてて、とても優しい気持ちのまま
最後まで読了できて、安心したという方が合ってるかもしれないけどね。
感動できる作品には違いないです。
今年一番の作品です。いや、作家の能力をまざまざと見せ付けられた辺り、
ここ2、3年では最高の本だったと言っていいと思います。
この本読んだら、より深く理解するために、数学の本を読むのもオススメです。

いや、マジでスゴイっす。
しゅんすけもまだ感動の渦が消えてないから、
表現がかなり甘いんだけどね。
posted by しゅんすけ at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月17日

読書感想文。

「モーダルな事象」を読みました。
結構厚手な本だったけど、こういう推理モノは遅読なしゅんすけでも
がんがん読めちゃうもので、正味10日くらいで読破できたかな。
この作家さんは以前「鳥類学者のファンタジア」って本を読んだことがあって
これがなかなか面白かったから、この作家の本が他に読みたくて
実は本屋でかなり探して手に入れたモノだったんだよね。
しかも本人、ジャズを嗜むそうで、その辺の感覚を生かして書かれた文章は
しゅんすけの琴線を響かせるのでした。

んで、第2弾の今回の作品。
総じて満足な作品で、面白かった。
それにしても、厚い本だったな。展開も何となく冗長な感じでしたね。
ここまで長い意味はあるのだろうか?
いや、結果的にかなり複雑な事件の真相を理解させるためには、
解説する必要があるわけで、ただの解説では物語のテンポを狂わせるから、
事件を客観的に探る人物を用意して彼らにああだこうだ推理させながら、
途中全く別の推理へ読者を誘導しつつ、複雑な相関関係を伝えるという意味もあって
事件とはほとんど関係ない元夫婦刑事なる二人が、
自身の微妙な関係を展開させながらも、物語の真相の解説役を担ってたから、
こういう冗長さも意味はあったんだろうけどね。
ただ、しゅんすけがそういう邪推をするくらいまで
このストーリーのプロットは複雑だったのだろうかとも思うし
演出の効果は別としても、もっと短くても良かったんじゃないかとも思う。

物語のキーとなるアトランティスのコインを巡って、
何人もの登場人物の思惑が交錯するというのは、
果たして意味があったのだろうか。
多すぎる登場人物が話しをややこしくしている気がしなくもないわけで。
どこかの書評にもあったけど、長くしようとして長くしているのではないかとさえ
思ってしまうのでした。

ま、主人公と思しき大学教授は、アクティブに事件に関わるというよりも
意図しないところで巻き込まれ、ただただ翻弄されるだけの役のようだから
主人公をこうと決めてしまった以上、他にも登場人物を出して
フォローせなイカンというのも分かるんだけどね。
この教授が最後にこの作品のテーマらしき展開に流されていくんだけど、
このテーマを匂わすクダリも何となく取って付けたような印象があってね。

前回読んだ作品では、薄くないその本の厚さに、
計算されたプロットが、どこか作為的な匂いも残しつつ
(語り手の好みとか私見とかのニンゲン臭い表現も織り交ぜて)
どうなるか分からない展開にも、明確な方向性を持って、
話しが展開するんだけど、今回の作品では
主人公たる教授の視点と解説者たる元夫婦刑事の視点が
行ったり来たりして、展開が不透明に感じる部分もあった。
読者の視点を大事に描写しているのが分かるだけに、
話しの展開を見失うしゅんすけに読解力がないだけかも知れんけど、
気になった。
あと、もう一回読んでみようという気が起きないほどの厚さはどうかと
思うよ。いや、厚さのせいじゃないか。京極夏彦の分厚い本は
2度3度と読み返してるしな。

本の厚さと言えば、この本、新書サイズなんだけど、製本が粗過ぎる。
天地側面の三方断裁は製本の基本ですが、
上方断裁がされていないのかしないのか、折が揃ってない。
もっというと、綴じ部分の糊付けも雑。糊がハミ出てるがな。
(やっぱり上方断裁してないのでは)
こんな製本だったら、そのうち本が壊れて、バラバラになっちゃうじゃんね。
天下の○日○印刷が何やってんだか。

いろいろ書いたけど、冒頭書いたとおり、面白い作品なので、
オススメです。

ちなみに、以前しゅんすけが読んだ「鳥類学者のファンタジア」に
登場する人物や事柄が、今回の作品にも登場してるんだけど、
複数の作品に登場するどこかで相関関係のある人物同士が、
互いに知らぬままに同じ事柄を巡って、
それぞれの作品の中でそれぞれの事件(?)に巻き込まれるってのは
面白いよね。(予定調和だけどエンタテイメントということで)
そう思うと、今回の作品がやけに冗長で、登場人物が多い辺り
今後の作品にも何らかの関与があるのかもしれないね。
※もちろんそれぞれの作品を個別に楽しめるようになってますが、
他の作品にも登場する人物がここでも登場してくれて、
しれっと書かれた行間にこうした演出にニンマリする作者が想像できるというか。

ちなみに、「鳥類学者の〜」では、ジャズピアニストの主人公の
エキサイトな演奏を文章に起こすという一見不可能な表現に挑戦し、
音楽のスピード感を見事に文章で表現できてて、
本を読みながらステージに立ってるような錯覚すら起こさせる秀逸な
表現力を発揮してるのが、この作家の真骨頂というか、
しゅんすけが好きである理由のひとつだったんだけど、
今回の主人公がジャズヴォーカリストということもあってか
演奏場面の記述がなくて、ちょっと残念でした。

また、他の作品も読んでみたいね。
posted by しゅんすけ at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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